土祭ーEarth Art Festa 2009 in Mashiko
4年前の2006年。3期12年続いた平野良和前町長に代わり、当時40歳という若さで当選した大塚朋之現町長が就任した。若き町長は、「環境」「文化」「健康」を政策の三本柱に、「ましこ再生計画」を策定。「環境」分野では、美しいまちづくりの一環として「ましこ花の博覧会」を、「健康」分野では、健康なまちづくりのきっかけとして「チャレンジデー」を開催。土祭は、その「文化」分野の一環として、「世界に誇る文化都市、益子」を表現するためのイベントとして計画された。
しかし、当初は「土」をテーマにした文化イベントではなかったと、大塚町長は言う。
「当初は『民藝』をテーマに何かやりたいと思っていたんです。私たちが幼かった頃、益子は『世界の益子』なんだと、よく教えられました。世界に誇れる文化都市としての益子をもう一度取り戻したい、町を元気にしたい、そう思っていました。実際に『民藝』をテーマに少し進んでいたのですが、何か違う、このままでは、今までの益子を脱却できない、そう感じて、スターネットの馬場浩史さんに相談したんです。そうしたら、『町長、民藝運動以前、原点にかえって土をテーマにやりましょう』って」
民藝は益子にとってひとつのアイデンティティである。江戸後期よりはじまる益子焼だが、濱田庄司が益子焼に民藝としての価値を見出す前は、どこにでもある日用雑器をつくる産地だった。それが、民藝のおかげで、何倍もの価格で売れるようになり、以来、濱田手の陶器が主流になり、ぼってりとした「民芸品」益子焼が確立していった。
益子にあって、「陶」に触れながらも、「民藝運動」や「濱田」に触れない「民藝運動以前」というテーマは、ある意味、人格否定ならぬ益子否定のようなものだったのかもしれない。しかしながら、「結局、濱田の遺産を食い散らかしてきてしまったのが現状」(大塚町長)というように、今までのあり方そのものを打ち破る必要があった。益子焼とはなんぞや。馬場さんにプロデュースを託したのも、今までの視点とは違う角度からの益子、益子焼を見出したかった町長の思いがあったのだろう。ここから、大きく流れが変わった。
